速いピッキングしてたら、ピックの持ち方について気づいたことが

基礎練の一環で、メトロノームに合わせて16分音符のピッキングをしています。

BPMで200に近づいてくると、結構疲れる速度になってきます。

これもやり始めは160くらいでもところどころ飛んじゃったり、安定感に欠けてましたw

速くなっていけばなっていくほど、その速度で安定的にピッキングする持ち方に自然と適応していくとは思うのですが、私の場合、グーになっていた。

でも、割とうまい人って開いてる人が多いような気も・・・?(印象だけで未検証)

で、指を開いてみた。

これだと、BPM180くらいから、ちょっと怪しくなってきた。

ピックの支えが親指と人差し指だけになることにより支えが弱くなり、速いピッキングの時に、ピックが逸れるというか動くというか、とにかくあたりが柔らかくなり、ちょっと安定感が落ちた。

グーで握るとピックはがっちり固定されるので、速いピッキングで安定する感じがある。

それに音が硬いというか、こういう速いパッセージにはこっちの方が現時点では好きな音になるような気もする。

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が、しかし今やってる教材のお手本DVDでは指は開いている。

そこで、あれこれやってるうちに、人差し指の側方向により力を入れ、親指の中心に向かってかちっと固定すると、まあまあやれる感じになってきた。

こうするとピックの角度がちょっと変わるので、そうなると右手のストロークの角度とか置き方とかも微妙にアジャストされることになる。

別にグーでもいいっちゃいいのですが、開いたフォームできた方が応用範囲広そうに思えるのと、お手本DVDが開いている以上、それを真似する方向で行きたい。

話変わりますが、以前もなんかで書いたのですが、ギターに限らず下手なうちは人をひたすら真似するのが近道だと思ってます。半端なオリジナリティなどいらない。オリジナリティとか個性は、そのうち勝手に出てきちゃうものだし、出てこないうちは真似フェーズにいるということなんだと考えてます。

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まあ、、、私見ですが。それにこの話はギターというよりも、仕事関係でそう思うことが多いかなw

ともあれ。

ともあれ、これをうまく端的に説明できなかったのですが、それこそ3年前に再開した剣道のおかげでいい言葉を再発見した。

いわゆる「守破離」(しゅはり)という言葉で、武道とか芸ごとの修行の段階を示すような言葉です。wikiをちょっと引用すると、

修業に際して、まずは師匠から教わったを徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とそのについてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。

趣味でやってるギターなんで、別に真面目にこのフレームワークで捉えてる訳ではないですw その時その時、興味ある感じにフラフラしてるのが実情だし、別にそれでかまわないとおもいます。

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そういう意味では、非常にコンパクトに守破離を回しているとも言えるw

ただ、今の私のブームは「守」ということで、お手本DVDを可能な限り真似していきたい。実は今まであんまりそういうことをやったことがないので結構新鮮。

実は最近書いたフォームの話はこのお手本DVDを真似たところからいろいろ気づきを得たのでした。

エレキギターのフォームが根本的に間違っていた件

・・・というわけでその一環で、右手の中指・薬指・小指は開く方向でいきたい、とそういうわけです。それだけのことを言うためにえらいことになったw

ああ、上のリンクの記事のタイトルが「フォームが間違っていた」とあるので今更なんですが、一応念のため。

エレキギターの弾き方に正解も不正解もないし、仮にあったとしても無視しても構わないと思うし、誰もが同じ段階を経なければならない必要もないでしょう。

みんなそれぞれ自分の思うように好き勝手に楽しめば良い。

・・・というのが大前提です。ですから私と全然違うアプローチや考え方の人についてどうこういうものではないですので、悪しからず^^

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